ここは移住者にとって灯台のような場所
八ヶ岳に「galleryTRAX」がある オーナー三好悦子さん
「空が広いから」
八ヶ岳に移住した理由を問われるたびにパートナーの木村二郎が返したいつもの言葉、と三好悦子さんは少し微笑みながら教えてくれた。
悦子さんは、八ヶ岳南麓にある「galleryTRAX(ギャラリートラックス)」を木村二郎とともにつくり、いまもギャラリーのオーナーとしてキュレーターとして運営を続けている人だ。しかし、改めて職業を尋ねてみると「私は、TRAXの管理人、掃除婦、たまに宿屋の主人。TRAXは一人で歩んでいて、そのTRAXのために必要な事を私はしているだけなの」と悦子さんは言う。まるでTRAXを一人の人間として扱っているようだ。
オープンして四半世紀となるギャラリーは、絵画・写真・彫刻など分野を問わず現代アートの作家に門戸を開き続けている。ここから世界に飛躍していった作家も少なくない。ライブやイベントでも、いいと思うものには場所貸しもする。
建物内にはショップスペースもある。かつては「starnet」が、最近では「evam eva」が商品を陳列している。いずれも地方をベースに独自性の高いブランドに成長した両社がTRAXを初期の拠点としたことはとても興味深い。なぜTRAXだったのか、なぜTRAXがその可能性を見抜いたのか。悦子さんはそれをTRAX目線と呼ぶ。「TRAX目線とは、木村二郎の視点であり、二郎に仕込まれた私の視点、そして二郎の作った空間であるTRAXそのものの視点なの」
「マスにさらされなければ純粋でいられる」と木村二郎は話していたという。話題づくりや媒体への露出を狙わないからこそ得られる純粋性が自然とTRAXと共鳴する人や物を惹きつけているのかもしれない。
ちょうど取材の依頼に伺った日は、その目的には広すぎるギャラリーでたった一人の美容師が一人の髪を整えていた。木村二郎と悦子さんが生み出した空間の中でまるでそれ自体がインスタレーションのような情景があった。
そもそも移住することもギャラリーを始めることも言い出したのは悦子さんだった。80年代後半大阪で多忙な日々を送っていたインテリアデザイナー木村二郎は仕事を減らしパートナーとともに八ヶ岳の麓へ移る。
「ええで、ええで、ここでやろう」と木村二郎は言った。
移住して3年後、お寺の隣に建つ元保育園に出会ったことでのんびりとした田舎暮らしを送っていた二人の日常は猛スピードで動き始めることになる。
二郎はデザインだけではなく自らの手で素材を集め材料を切り改装を、悦子さんは絶望的な状態に思えた建物内の片付けと掃除と塗装を。水廻りだけ整えてここに引っ越して暮らしながら作業を続けた。まだ「リノベーション」という言葉がなかった時代、プロフェッショナルである木村二郎と悦子さんは、誰かのためではない自分たちのための空間をリノベーションした。
1993年7月2日、「galleryTRAX」は誕生する。壁は真っ白に塗装され、解体した建物から持ち込まれた古材が使われ、錆びの浮いた鉄製のフレームで覆われた窓、木と鉄で製作されたテーブルや椅子、板を何枚も積層した陳列棚、元保育園という素材を生かし切った造作と改修が行われた。
商空間のデザインに高価な素材がこれでもかと使われ奇抜さばかりが求められていた時代に、木村二郎がつくったモノは古い材料を主役として扱った素朴で上質な、けれどもそれまで誰も見たことがないタイプの独創的な空間だった。
いまでこそギャラリーやショップやカフェで見かけるようになったデザインとリノベーションの芽生えだったと思う。その源流がここなのだ。
オープン以来、二人にとってノンストップな日々が続いた。悦子さんは展覧会のオープニングの都度、作家や関係者や客のために料理を作り続ける。木村二郎は展示する作家ごとに額縁や展示台を作り続ける。TRAXで展示をしたある作家は「二郎さんのしつらえのおかげで作品が100%以上になる」と言った。そして悦子さんの料理は「くらしの手帖」の編集者が「TRAXの料理は美味しい」と喧伝したことでますます存在を知られるようになっていく。
多くのメディアが取材に訪れ、多くの人が八ヶ岳の麓にあるギャラリーに押し寄せるようになっていった。
「ここは見るギャラリー」
空間そのものや作品とそれを装飾する木村二郎の造作に圧倒され実際に購入する客は多くなく、ギャラリー経営は楽ではなかったと悦子さんは言う。
「TRAXは見にくるところで、買うところではなかったのよ」
しかし、この立地や空間デザインのあり方、古材や鉄を使った造作や家具、TRAXが先駆者として生み出した数々の独創、そしてリノベーションの本質は、来店する人たちの記憶の深いところに焼き付けられて広く伝播していったに違いない。
TRAXに出会った人たちから木村二郎には内装や建築の依頼が来るようになる。今も北杜市内や栃木県の益子などでその空間や建築に触れることができるが、けっして多くの作品を残してはいない。積極的に建築を受託していたようには思えない。TRAXの空間、家具、オブジェなどひたすら独自のモノを生み出し続けた木村二郎にとって、その創作意欲や情熱は依頼されて作るものとどこか決定的な違いがあったように思える。
ユニクロのCMへの出演や数々の取材、間違いなく時代の寵児であったにも関わらず積極的にマスに関わろうとはしなかった。それは独創の源である「純粋性」を木村二郎は大切にしたかったからだと悦子さんは言う。が、他にもあったのかもしれないと思った。
二郎は作ったものを最初に悦子さんに見せた。「えっちゃん、見て」、「いいね」と返事すると満足そうな笑顔を二郎は見せた。一方で、悦子さんがいいと思わなかった家具は目につかないところへそっとしまわれたりした。
そう、木村二郎はたった一人のためだけに作っていたかったのではないか。八ヶ岳に来たのも、ギャラリーを始めたのも、家具やオブジェを作り続けたことも、パートナーを楽しませたかった、喜んでもらいたかった、それが全てだったのではなかったのか。
一人のために作り続けること、それは時代の空気を読むための情報に触れ続ける必要のない創作活動なのかもしれない。きっと、木村二郎の言う純粋性とは「マス」に対して「一人」に喜んでもらえるモノづくりを象徴する言葉だったのではないだろうか。
悦子さんも「二郎には好きなことをしてもらいたい」といつも、次に二郎から出て来るモノを楽しみに待っていたと言う。
木村二郎は最後の2年、家具や建築ではなく映像を作り続けた。
パートナーが亡くなってからしばらくは何もできなかったと悦子さん話す。だけど今はギャラリーのキュレーションを行いながら国内外のアーティストと交流し若手のサポートを精力的に進めている。そして以前と変わらず、料理をつくり続けている。自由でありながら中途半端が嫌いだった木村二郎と同じように純粋にTRAXに向き合っているのだ。
「毎日空の色が違う、心のリセットができる八ヶ岳の自然の素晴らしさを伝える人になりたい」そして、「日常には楽しいことがいっぱい、日々楽しむこと、楽しんで欲しい」悦子さんから移住を模索している人たちへのメッセージだ。
二人が生み出した「galleryTRAX」、八ヶ岳の南麓、周囲を田畑に囲まれたギャラリーは、今につながるデザインやリノベーションの源流のひとつであると同時に、都会ではないローカルからも圧倒的なカルチャーを世界へ発信できることを教えてくれる。
TRAXがあるからここに移住を決めた人も少なくない。ここは移住者にとって灯台のような場所、八ヶ岳には「galleryTRAX」がある。
屋号 | Gallery Trax |
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URL | http://www.eps4.comlink.ne.jp/~trax blog: http://d.hatena.ne.jp/traxtrax/
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住所 | 山梨県北杜市高根町五町田1245 |
備考 | Open: 11:00-17:00(金・土・日・月) Café: 12:00-17:00(ランチ 予約制) Tel: 080-5028-4915 アクセス: 電車 / 中央線特急: 新宿~甲府駅 → 普通電車: 長坂駅下車-タクシー10分 高速バス岡谷行き / 新宿~長坂・高根インター下車-徒歩10分 |