おみやげ・民芸品店「尚美堂」
山形民芸の演出家
民芸品は、その土地の暮らしを表すもの。
山形には、たくさんの民芸品があります。こけし、お鷹ぽっぽ、将棋駒など、そのどれもが生活の中に根付き、多くの人から愛されています。
そうした郷土の品々を、81年間扱い続ける尚美堂・代表取締役 逸見良昭さんからお話を伺いました。
尚美堂は、昭和12年5月に、現在の七日町店がある場所で開店しました。はじめは、東京の書店で修業した良昭さんのお祖父さんが、映画スターのブロマイドやトランプ、麻雀などの娯楽用品の販売からスタートしたそうです。
「当時、娯楽があまり無かったからなんでしょうね。日常に取り入れられる娯楽用品が求められました。
次第に社会が豊かになってくると、今度は、観光が盛んになっていきます。そうすると、お土産として伝統工芸品や民芸品が求められるようになり、ほかにも山形の風景写真の販売を始めました。
時代の変化に合わせて、お店もだんだんと変化していきました」
大量生産された既製品とは違い、その一つ一つが職人さんの手によって作られる民芸品。
職人さんとのコミュニケーションを大切にする逸見さんだからこそ、実現した商品も多いのだといいます。
「いくら形が変わったとしても、工芸品は、まだまだ「作品」です。ですからやはり、今でも職人さんのところまで直接出向いて、お話をして、最後に品物をもらってきます。
ただ商品を郵送してもらうより、時間はかかります。でも、こうしたコミュニケーションをすることで、山形にはまだまだ知らないもの、新しい商材がたくさんあることに気付けるんです」
そうしたコミュニケーションの中で、時代の変化に合わせた提案も逸見さんは積極的に行います。
例えば、山形伝統の民芸品、お鷹ぽっぽ。
尚美堂には、蛍光色をはじめとするカラフルでかわいいお鷹ぽっぽが並びます。これらは逸見さんと職人さんの関係性のなかで生まれたオリジナル商品です。
伝統的な色彩からはかけ離れた提案を、職人さんがチャレンジしてくれるのは、一朝一夕では築けない信頼関係があるからこそ。
新たな感性の提案が実現する背景には、そうした昔ながらの付き合いがあるのです。
また、近年に若い世代からその価値が見つめなおされ、人気を博しているこけし。
もしかしたら、それは伝統工芸品としてではなく、「かわいい雑貨」のひとつとして捉えられているのかもしれません。
しかし、逸見さんはそれでもいいのだと語ります。
「このままでは、こけしの文化は途絶えてしまいます。でも、工芸の将来を意識した作家さんが新しい雑貨感覚のこけしを作り始めて、若い人たちも買ってくれるようになりました。
それによって、今まで作ってこなかった人たちもこけしを作るようになってきました。新しい需要が増えて、生産量が増えることで、技術も次の世代につなげていけるんです」
時代の移ろいとともに変化していく民芸品のかたち。
地域と伝統に寄り添いながら、これまで歩んできた尚美堂だからこそ、近年は民芸品の継承にも積極的に取り組むようになったのだそう。
「うちの使命のひとつは、伝統工芸品のなかでも花笠づくりを守っていくことです。
今は、80歳くらいのおばあちゃんが10人程度で、ほとんどの花笠を作っているのが現状。このままだと、あと数十年で、山形の花笠は無くなってしまいます。
花笠おどりには欠かせない、花笠を絶やすわけにはいきません。そのためにも自分たちから働きかけて、講習会や、小さな花笠をつくるワークショップを始めたり、山形市とも協力して、休耕田を利用して材料となるスゲを植えてもらっています。自分でも山間部の土地を買ってスゲの栽培を始めました。
育成と合わせて、少しでも多くの人に、山形の花笠を知ってもらえるように活動しています」
民芸品は、その土地の暮らしを表すもの。暮らしが変わっていくにつれ、民芸品もまたその姿を変えていきます。
そしてまた、それはお店も同じことです。時代の移ろいに合わせながら、柔軟に変化をしてきた尚美堂。
新たな感性の商品や提案など、時代のニーズを確実に汲み取る逸見さんですが、同時に「懐かしさ」を感じられるお店になれば、と語ります。
「新たにリニューアルしたエスパル山形店では、新しい感性の商品やお土産を揃えた雑貨店のような空間をつくりました。
しかし、71年前からシネマ通りでお店をやっている七日町店では、懐かしさも同時に残していきたい。だから、ここに昔から売っている娯楽用品や伝統的な民芸品は、変わらず販売を続けているんです。
新しい感性を取り入れつつも、あくまで七日町店では、伝統を守り続けたいと思っています」
かたちは変わっても、つながっていく伝統と技術。
ただ商品を販売するだけでなく、その商品が次の世代まで続いてくことまで考え、お店作りをする逸見さんは、まるで山形の民芸の演出家のようでありました。
取材・文/北嶋孝祐