花小路はしご酒 vol.1
台湾你好、順、チョロン
花小路(はなこうじ)へ向かう。
これまで山形の深部とも言うべき花小路に真正面から対峙してこなかったことを恥じるような気持ちが芽生えていた。この場所に足を踏み入れずしてこれから山形を語ることはできないだろう、という確信めいたものに突き動かされていた。
あなたはもう花小路を飲み歩いただろうか?
もしまだなら、さあ、ご一緒に。
老舗料亭千歳館や魚屋吉野屋など年季の入った店が立ち並ぶ紅花通り沿いにその入口がある。師走も終わりに近づいたある雪の降りしきる夜、カメラマンの根岸君と僕は控えめなネオンの灯るその門をくぐった。
18時40分。まだ時間が早いのだろうか。狭い路地にひしめいているはずの飲み屋の多くは灯りもついておらず閑散として通りは暗く、人の気配があまり感じられない。どことなく活気を失いかけているようなその雰囲気がちょっと意外に感じられて、僕らは少したじろいだ。
花小路は、華やかな飲屋街、ではなかったのか?
さぐりさぐりそっと歩いた小路の奥に怪しく光る看板の文字は「台湾你好(ニーハオ)」。夜光虫のようにその光に吸い寄せられ扉を開けるとカウンター席にサラリーマン風の先客が三人ほど座っている。忘年会シーズン真っ只中の時期ではあったが厨房にいるママに挨拶すると、運よく座ることができた。小あがりには10枚ほどの座布団が並べられており、テーブルの箸や小皿はこれから始まるであろう宴会の客の到来を無言で待っていた。
僕らはカウンターの端に腰を下ろしビールを注文した。旨そうな料理が並ぶメニューからピータン豆腐と牡蠣の豆豉炒めを頼んだ。
この店は花小路のなかでは比較的新しく、にこやかな笑顔のママは台湾出身らしい。彼女の話す言葉には愛嬌があって素敵だった。
ひと気のない通りを歩いてきた後だけに、その店内の賑やかさとママの存在が、まるで台北の九份かのような、異郷に紛れ込んでしまったかのような、そんな気分にさせてくれた。
写真を撮っていいか尋ねると、なんで? と言うので、僕らはライターとカメラマンでwebマガジンに花小路を載せたいのだと答えた。金は取るのか?と尋ねてくるので、金は取らないと答えると、なんでタダなんだ?と尋ねてくる。この店の広告をしたいのではなく花小路の探検談を書きたいだけだからだと答えると、じゃあどうやって金を稼ぐんだ?と、とめどない問答が延々とつづいた。
その他愛もなくとめどもないママとの会話が永遠のように続くおかげで、僕らのテンションはゆるゆるにゆるんだ。ピータン豆腐も、牡蠣の豆豉炒めも、実に旨かった。ゆるゆるの僕らはいつのまにかビールをなんどもなんども飲み干していた。
20時30分。2軒目。
台湾你好を出て、50メートルも歩いただろうか。シンプルな潔さを感じさせる看板を掲げた「順」の暖簾をくぐる。店内には僕らを迎えてくれたママさんと旦那さんの他には誰もいなかった。雪の降り積もる音まで聞こえそうな静かな夜だった。店のなかのいたるところがすっきりとして綺麗だった。手入れが実に行き届いている。ここは旨い店だと直感した。
熱燗を頼むと旦那さんが辛口の地酒の一升瓶をあけてくれた。料理も適当にとお願いすると、ママさんが煮込みと和え物を出してくれた。丁寧に作られた手作りの味がした。想像以上にめちゃ旨。
初めてこの店に来たこと、花小路探検に来たこと、ちょっとした取材であることを説明する僕らにママさんも旦那さんも優しかった。
かつて花小路が芸者のまちであったこと、小姓町は色のまちであったこと、駅前は一見のまちであったこと。そんな風に山形の飲屋街にはそれぞれの特色があったこと、そして花小路には今もまだ70ほどのお店があること、このお店が40年も続いていることを、ママは教えてくれた。
いっぱい話をした。正確には「いっぱい話をした」という記憶がぼんやり残っている。その記憶の具体的なものがすっぽり抜け落ちてしまって頭の中のどこを探しても見当たらない。気分よく熱燗の盃を傾けつづけた僕らは記憶をなくすほどに飲んだようだ。
唯一、旦那さんとママさんが最近東京に旅行に行ったこと、旦那さんが東京で気分が悪くなってひとりで帰って来ちゃったこと、そして帰りの新幹線で財布を失くしたこと、そして後日その財布が見つかったこと。そんなどうでもいいと言っちゃ失礼だけどそんな話だけが僕の記憶に残ってしまった。
帰り際、写真を撮らせてほしい、とお願いすると、照れながらも優しい笑顔をくれたことを思い出した。
たぶん22時過ぎ。3軒目は、順の隣の隣「チョロン」へ。
すでにべろんべろんに酔ってグオングオンに回っている僕らは再びビールを頼み、酢モツともろきゅうとナンコツ揚げでふたたび乾杯したように思う。この店の店主さんはまだ若く、花小路を紹介したい!という僕らの熱意は全く伝わらなったみたい(なぜなら僕らはすでにベロンベロンで何を伝えられたかも覚えていない)けれど、ありがたいことに撮影許可はもらえた(気がする)。
懐かしいような店の雰囲気、気取りのない空間が、ますます僕らを開放的な気持ちにさせてくれた(たぶん)。店が閉まるギリギリまで、僕らはゆったりと酒を飲み過ごした(みたいだ)。
花小路を3軒はしごしたことを思い出している今。
緊張しながらも足を踏み入れた花小路の夜を僕らは予想を超えて楽しんだようだ。今振り返ってみれば、僕らがお邪魔したどの店にも暖かい人情があった。それがとても新鮮だった。こんなふうにお店の人とじっくり話しこみながら酒を飲むことは山形で初めてかもな、というほどに。
花小路。
ここはかつてやまがたの大人たちの歓楽街であったのだろう。
このエリアを大きく取り囲むのは、千歳館、四山楼、の々村、揚妻、嘯月、亀松閣といった長い歴史をもつ6つの料亭であり、そのほとんどは今もまだ営業を続けていて、山形のまちの文化の豊かさの象徴のように語られている。こうした料亭には経済的文化的に豊かな大人たちが集っては美味いものを食い、美酒に酔い、三味線を弾く芸妓とともに唄を唄って遊んだのであろう。たしかにそういう日々がかつてここにあったのだろう。
だが少なくとも僕らが訪ねたその夜にそうした華やかさの名残を感じることはできなかった。
そのかわり、こじんまりとしているけれど、どこか懐かしいような、人情味のある、旨い店が僕らを迎えてくれた。なんらかっこつけることのない、なんら取り繕う必要のない、懐の深いお店ばかりだった。
今、この日の花小路の夜を思い出すと、すごくあったかい気持ちになる。もしまだ花小路に行ったことがないのなら、ぜひ、あなたも、一度足を運んでみてほしい。
僕らももう一度行ってみるつもり。きっと、また次回。花小路で会いましょう。
写真:根岸功